コラム

羅臼と斜里、2つの町で知る「ほんとうの知床」 〜知床峠を越えてゆけ〜

「ああ、ここから先は異世界だ」

私の住む斜里町と羅臼町を結ぶ大動脈「知床横断道路」の中間地点、知床峠を越えるとき、いつもそう思う。
知床連山を挟む地形のためか、斜里側が晴れていても、羅臼側では曇りの場合が多く、町の境界から先はピリッと気が張り詰める。

写真提供:知床斜里町観光協会

その知床横断道路も、11月から4月まで積雪で通行止めになるため、日本一開通期間の短い国道といわれ、冬は回り道を強いられる。
そんな環境もあり、斜里と羅臼は同じ知床半島を擁しながら「近くて遠い隣人」なのだ。

6月中旬。この時期に国内でもっとも高確率でシャチを見られるのが根室海峡、羅臼だと聞いて駆けつけた。
羅臼といえば世界有数の漁場であり、昆布の特産地としても有名だが、鯨類や海鳥類の楽園が広がっているのをご存知だろうか。

海の王者との遭遇

午前9時、元漁師の長谷川正人船長が舵をとる「知床ネイチャークルーズ」のエバーグリーン号に乗り込んだ。
天気が良ければ北方領土・国後島を眺められる。この日はあいにくの薄曇りだったが、かえって神秘的なムードを醸し出していた。

配られたライフジャケットを身に付け緊張が高まったところ、ふいに「今日はシャチに会えるぞーっ!」と長谷川船長の威勢のいいアナウンスが耳に飛び込んできた。ネイチャークルーズの楽しみは海洋生物だけではなく、長谷川船長の軽快なマシンガントークにもある。

もともと水産高校の実習船だったというエバーグリーン号では、操舵室と客室が一緒になっているので、船長の実況中継が間近で聞けるのが楽しい。(※毎回、長谷川船長が乗船しているとは限りません)

「今時期は、羅臼の海にシャチたちが合コンしにきてるんだ!ほれ、2時の方向(右斜め前)に群れがいるぞ!」
はっ、と窓から海を見やると、黒々としたシャチの背びれが波間からいくつも突き出ていた。

黒と白のコントラストが美しい、堂々たる体躯。背びれは大きいもので高さ2メートルにもなるそう。その衝撃と感動は、想像を軽々と超えてきた。

言葉を失っている私に「外に出て見てみれ!潮吹きの音が聞こえるぞ」と、再び促す船長。あわててデッキに出ると、タイミングよくシャチから「プシューッ!」と勢いよく噴気が上がり、乗客たちから歓声が上がった。

海洋生態系の頂点とされるシャチは「海の王者」ともいわれ、群れでクジラを襲うこともある。
ブリーチング(海面へ体を打ち付けるジャンプ)やスパイホップ(偵察行動)など動きが活発で、ほ乳類の中で最も速く泳ぐそう。

一方で、仲間と協力して餌を分け合うなど社会性が強い面あり、このときも「ポッド」と呼ばれる家族単位で行動していた。最近も羅臼沖で約百頭もの「スーパーポッド」が見られ、話題を集めたところだ。

スーパーポッド(写真提供:知床ネイチャークルーズ)

観察されるのは慣れたものなのか、シャチたちはぐんぐん近づいてきて、ふわりと船の下に潜り込んだかと思えば、逆方向にひょっこり顔を出してくれたりと、かなりサービス精神旺盛に見える。

恵みの海に動物大集合

羅臼の海の見どころは、それだけに留まらない。

「午前10時の方向を見てください!」

今度は遠くの方に黒い点々がうごめいているのが見える。ハシボソミズナギドリだ。

根室海峡には4月下旬から8月頃に親鳥と若鳥が、遠く南半球タスマニアから大群をなして現れる。このほか、秋までにマッコウクジラ、ミンククジラ、イシイルカなども見られるという。

マッコウクジラ(写真提供:知床ネイチャークルーズ)

カマイルカ(写真提供:知床ネイチャークルーズ)

これら多種多様の生物や魚介類を育むのは、水深1000メートル以上まで達する海。

冬は植物性プランクトンを含む流氷が到来し、春先は、それを求めて魚類が集まり、その魚類を目当てに鳥類や鯨類が大集合する。さながら栄養をたっぷり与えてくれるスープであり、プランクトンに始まる生態系ピラミッドが形成される恵みの海なのだ。

2021年2月の「流氷・バードウォッチングクルーズ」。流氷の上に集うオオワシ。(写真提供:知床ネイチャークルーズ)

今回の取材でカメラマンを務めた小林誠さんも、そんな羅臼の海に魅せられた一人。

自宅のある苫小牧市から約6時間かけて月に何度も訪れていると聞き、驚いた。

「船に乗るごとに、違う光景に出会える羅臼の海の虜になっちゃったんです。海洋生物は全身が見えないからこそ、想像力がかき立てられて何度も撮りたくなる」と熱弁する。

晴天時のクルージングでは知床連山を一望できる。(写真提供:知床羅臼町観光協会)

約2時間半のクルージングを楽しんだのち、「昼はうまいもん食べてこいよ!今が旬のトキサケなんて最高だぞ!」と言う船長のアドバイスに従い、観光客でにぎわう食事処「羅臼丸魚 濱田商店」で時鮭定食を頼んだ。

知床名物トキサケは、春から夏にかけて水揚げされる鮭「時知らず」のことで、その名のとおり「季節はずれ」を意味する。産卵期ではないぶん、身に脂がのっているのでまさに別格の美味しさだった。

この鮭たちだって、海の栄養を体いっぱいに蓄えて川に遡上して産卵し、命尽きた後は鳥類やヒグマやキツネなど陸で生きるほ乳類の食料になったりもする。海と陸をつなぐ大事な存在なのだ。

知床が世界遺産に登録された大きな理由は「海から川、森や山までまたがる豊かな生態系」にある。

陸のヒグマやエゾシカに注目が集まりがちだが、魚類や鳥類、鯨類が集う羅臼の海では、生命の循環を目で確かに実感できる。
「私たちも、そのサイクルの中に生きているんだ」自然にそう思える体験を、ぜひ味わってもらいたい。

>>> シャチやクジラを船上撮影するポイントと事前準備の解説記事を読む

知ってもらいたい「ほんとうの知床」

「手つかずの自然」と称されることが多い知床だが、漁業や農業など産業も共存している。羅臼でも100年以上も前から知床半島先端部で昆布漁が営まれている歴史がある。

知床ネイチャークルーズ代表の長谷川正人さん(59歳)は3代続く漁師の家に生まれ、スケトウダラや昆布漁などに携わってきたが、漁獲量の減少にともない、2006年に「漁師経験を生かして羅臼の海の魅力を伝えたい」と、観光船業に転向。

いまや名物船長として名を馳せる長谷川さんに、これまでの歩みを振り返ってもらいつつ、知ってもらいたい「ほんとうの知床」の姿について話を聞いた。

知床半島先端部の赤岩地区で昆布漁を営んでいたころの長谷川さん一家(写真提供:知床ネイチャークルーズ)

昆布漁師一家に生まれて

−漁師がルーツにある長谷川さんのように産業と観光の話、両方語れるのは、知床において貴重な存在だと思うんですよね。

なんで語れるかって言うとよ、もともと観光業にも携わっていたからなんだよ。
うちは昔、駅逓所(幕末~昭和初期の北海道で貨物運送や郵便取り扱い、民宿などを担っていた施設。道内120ヵ所以上あったといわれている)もやってたから。昭和の初めだな。

祖父と船に乗る幼き日の長谷川さん(写真提供:知床ネイチャークルーズ)

その駅逓所から、うちの赤岩地区(知床岬先端部)の番屋には常に漁師以外の人も来ていたのよ。
番屋でも大学のワンダーフォーゲル部の学生や、ウニ調査に来た漁協職員を泊めたり、そういう歴史がある。

斜里町ウトロと羅臼町を往復していた観光船にて。中央は長谷川さんの妹さん。(写真提供:知床ネイチャークルーズ)

あとは、艀(はしけ。港湾内で大きな船と波止場を行き来する貨物船)業務もやってたから。昔は羅臼と斜里町ウトロ間を走っていた観光船に、人のほか郵便物も運ばれてきてさ、知床岬で降ろしたりね。

だから、知床岬には郵便番号も付いてるんだよ。

−えっ!それは知らなかったです。

実は住所に「知床」って地名が入っている場所があるのは羅臼だけなんだよ。
郵便番号検索してみろ。「086-1801」!

−あ…本当だ…。「北海道目梨郡羅臼町知床岬」って出てきます。

知床半島先端部(根室海上保安部 羅臼海上保安署提供)

思い出の赤岩地区

知床岬そばの赤岩地区には昭和40年代、50軒近くの昆布番屋があったんだから。
漁師もいっぱいいたし、その半分以上の家で番犬が飼われていたから、ヒグマなんて寄り付かなかった。野生動物と人の住み分けできてたわけ。それが本来の知床の姿なんだよ。

今のように人里にヒグマやエゾシカはほとんど出没しなかった。そんな環境だから、俺も赤岩から知床岬までよく歩いて往復したもんだ。今も船でアナウンスするんだよ。

「ほとんどの方が知らないと思いますが、知床と登記された土地は羅臼にしかない。今も知床岬の赤岩地区に、うちの番屋が残っているんですよ」って。

赤岩長谷川家が所有する、知床に現存する最古の昆布番屋(赤岩地区)。かつては町内の漁師の半数が漁期になると、家族総出で赤岩地区に移り住み漁に励んだ。現在は船の性能の向上で日帰り可能になり、2017年には同地区最後の昆布漁師が撤退している。(写真提供:知床ネイチャークルーズ)

漁師時代の長谷川さん(左)。赤岩地区は羅臼市街地から直線で約35キロ。道路が通っておらず、電気や水道もない環境。(写真提供:知床ネイチャークルーズ)

昭和40年代、赤岩地区での昆布干し風景。現在は乾燥機を使っているが、当時は100%天日干し。(写真提供:知床ネイチャークルーズ)

−そうした経験の中で、日常の生活航路が観光資源になると思ったきっかけは何だったんでしょう。

俺が18歳のときに、親父が瀬渡し船(沖磯に釣り客を乗せる船)を始めたんだよ。

当時の知床はライダーの聖地だったから、相泊(道道87号、知床公園羅臼線の行き止まりで、相泊から知床岬へは徒歩か船でしか行けない)に皆、バイクを置いて、うちの瀬渡し船を使って釣りをしに赤岩地区を往復するのよ。

交通船みたいなもんだな。あとは、知床連山を縦走して知床岬まで到達した人を、相泊まで運んだり。漁獲量が減る中で、漁師は辞めることにしたけれど、自分が生きるのはやっぱり海だから、当時は競争相手の少ない観光船に転向した。

まあ、そのころから自然はすごかった。シャチやクジラとか海洋生物中心の観光船になるとは思わなかったけどなあ。

家族で磯遊びが定番だった。(写真提供:知床ネイチャークルーズ)

シャチと漁師は大事なパートナー

−シャチの行動に変化があって、よく見られるようになったということですかね。

いいや、シャチはなんも変わらんよ。俺たち側の変化よ。

知床ネイチャークルーズを立ち上げたときは客もこんなにいないし、船も少なかった。たまたまテレビ局がうちの船を貸し切ってハシボミズナギドリを撮影しているときに、シャチが毎度いることに気づいたんだ。テレビ局は「シャチが映り込んじゃうんですよね」なんて残念がっててさ。

そんな時代だったんだよ。2007年ころの話かな。その後シャチウォッチングが評判になって、毎年、お客さんが千人くらいずつ増えていって、冬の「流氷・バードウォッチング」の乗客も増えたね。

ハシボソミズナギドリの群れとシャチ(2021年6月)(写真提供:知床ネイチャークルーズ)

流氷が高密度に押し寄せる斜里では流氷ウォーク、密度が低い羅臼では観光船が出航できるため流氷・バードウォッチングが楽しめる。オオワシ、オジロワシの世界一の越冬地として知られる。(写真提供:知床ネイチャークルーズ)

−観光船とシャチとの関係性はどういう感じなんでしょう。

やっぱりシャチは俺たちにとって大事なパートナーだから、変に深追いしないことよ。しつこく追いかけると向きを変えちゃう。何でもほどほど。昔はマッコウクジラも警戒心が薄くて、側に船がいても呑気にブシューブシューって潮吹きしていたもんだけどな。観光船協議会で決めた自主ルールを守って、あとは長年の勘と腕だね。

−四季それぞれに船から見られるものは違いますよね。長谷川さん一番の「推し」はありますか。

やっぱり何だかんだ言ってもシャチだべなあ。

クジラもすごいなあとか、日の出を背負ったワシもきれいだなあとか、それぞれに良さがあるけれど、一番ワクワクする時期はシャチが見られる6月から7月だな。こんなに集まる海は、世界中を探したってそうそうないよ。

−かつての漁師仲間の協力で、シャチが出るポイントをデータ収集しているそうですね。漁師と観光船が自然に協働している。

今日のシャチの発見も、一本目の情報は、先に出航していた定置網漁師からなんだぞ。「おい知ってるか、今いたぞ」って。

やっぱり、俺も漁師やってたから、今もコミュニケーションが密なんだよ。息子たちにも「浜の人間たちを粗末にするな」って、よく言っている。海で何かあったとき真っ先に駆けつけてくれるのも、仲間の漁師だからなあ。

羅臼と斜里があってこその「ほんとうの知床」

−私は、隣町で同じ知床半島にある羅臼を意識はしているものの、今日は、実際には羅臼観光をちゃんと知らないなって実感しました。

こうやって観光船が盛り上がる前は、観光バスが来てもトイレ休憩だけして素通りされるだけの町だったんだよ。

メディアから注目されがちだったのも斜里町ウトロの方。ネイチャークルーズ立ち上げから15年目にして、だんだん羅臼の魅力が広まってきたように思うよ。

(中標津)空港から車で1時間も走れば、ヒグマにシャチ、オジロワシやオオワシ陸海空の生態系の頂点がこの狭いエリアに凝縮されていて、高い確率で見られる。アラスカやアフリカでも体験できないだろうな。

−そうですね。そして今は、斜里と羅臼、どちらも体験してもらいたいという気持ちです。

「ほんとうの知床」って、そういうことだと思うよ。

泊まるのはどちらでもいい。両町を知ってこそ知床なんだ、と。どちらが良い悪いではなく、斜里と羅臼、五分と五分で情報発信し合うのが大事。昔は背中を向け合っていたようなところがあったけれど、今は斜里の観光関係者とも電話一本でいろいろ話し合っているしね。

−斜里と羅臼がともに観光で伸び続けていくには、どうしたらいいと思いますか?

さっきも言った「ほんとうの知床」の姿を、みんなで語り合うことだね。まだ全然足りてない。

観光に先進的に取り組んできた斜里町ウトロには大規模な宿泊施設もあるし、あっちの船から見る景色も好きだよ。やっぱり絶景だしな。

斜里町側の観光船から見た知床半島(写真提供;知床斜里町観光協会)

羅臼側の海が時化(しけ)て船が出せないときでも、斜里側は晴れてることが多いから、客に勧めることもあるし。そんな風に両町どちらも語れるスポークスマンが、もっと増えればいいと思うな。

*****

インタビューが終わったところで、長谷川さんのスマホが鳴った。道内の映像制作会社らしい。

「おお、今、シャチすごいぞお、今日もたくさんいたぞお。どんどん撮りに来い!いい時期を逃すなよー!」

初めは、元漁師らしいぶっきらぼうな口調の勢いに気圧されたが、その歩みには、羅臼の魅力を一つずつ見つけ、地道に発信し続けてきた努力がにじむ。

生まれ育った場所でそれを実践し続けるには、内と外の視点、主観と客観のバランスが大事なのだろう。斜里と羅臼は同じく知床を擁しながら、いくつも違いがある。

観光船でも、斜里町ウトロ側では断崖絶壁や奇岩、海に流れ落ちる滝など、まさに秘境の絶景が見どころ。一方、羅臼は多種多様の海洋生物が大集合。

そして、いかにも観光地という賑わいのウトロに比べ、羅臼岳の麓や海、川のそばに番屋や民家が密集していて生活感たっぷりだ。

羅臼岳と、羅臼町市街地(中山よしこ撮影)

「陸で森林散策を楽しんだら、海からも知床を見て」よく、客人が来ると生態系のつながりを伝えるため、そうすすめている。
今度からはそれに「斜里に来たら、羅臼にも行って。2つの町を知ってこそ知床だから」と付け加えたい。

道の駅「知床・らうす」にて(中山よしこ撮影)

 

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ライター

北海道斜里町出身。札幌市からUターン後、地方紙記者を経て2011年に斜里町内の仲間と「シリエトクノート」を創刊 (休刊中)。以後、DTPオペレーターとライターの傍ら、知床に来訪するアーティストとワークショップや展示を企画する「 アーティスト・イン・シリエトク」や、移動古書店「流氷文庫」等で節操なく活動中。

地方公務員/カメラマン/ライター

北海道安平町を拠点に、道内の野生動物を中心としてネイチャーの写真・映像を撮影する。撮影した写真や映像は各種メディアで取り上げられるほか、新聞紙のコラムの連載なども持つ。

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北海道の東、道東地域を拠点に活動する一般社団法人ドット道東の編集部。道東各地域の高い解像度と情報をベースに企画・コンテンツ制作をおこなう。自社出版プロジェクト・道東のアンオフィシャルガイドブック「.doto」などがある。

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