時代の移り変わりとともに、北海道の観光についてもさまざまな変化を迎えている。今までのように有名な観光スポットや、ご当地グルメを巡るのも1つの楽しみ方だが、人との出会いや学びを得る「体験型」の観光や、アクティビティを通じて地域の風土を一貫したテーマで旅する「アドベンチャーツーリズム」が、ここ道東でも広がってきている。
今回は、北海道標津郡中標津町で、酪農業を営む「山本牧場」の山本照二さんと、「竹下牧場」の竹下耕介さんのお2人に、酪農から地域をつないでいく観光についてのお話を紹介いたします。
山本 照二(やまもと てるじ)
東京都新宿区出身。地球にやさしい有機放牧酪農家。北海道教育大学旭川校卒業後、流通の仕事に12年携わり1999年に家族4人で北海道へ移住する。2002年に中標津町養老牛で山本牧場をはじめ、38頭の牛たちをマイナス30℃近くなる厳しい冬でも完全放牧で育てる。グラスフェド配合飼料ゼロ主義で、自然そのままの牛乳づくりを行う。道東SDGs推進協議会の運営にも携わる。
Contents
北国の「ものづくり」に憧れて
もともと東京で流通の仕事をしていた山本さん。北海道にはバイクやキャンプなどで何度も訪れていたこともあり、北国の生活に憧れを持つことになる。
やがて仕事を辞めて、中標津町へ。家族とともに移り住んだのは、35歳のときだった。また、翌年から酪農を学び、新規就農へ向けた研修生活もスタート。
「ものづくり」に強い関心を持っていた山本さんは研修中、酪農業界の決まりごとやクリエイティブな面に、疑問や違和感を持つようになる。そして、3年間の研修も終えて就農するその前年に「BSE問題」が発生する。
「そのとき、酪農の現場で自分が学んだこととか、おかしいな?と思ったこと。そうしたことが、BSE問題と重なったんですよね。3年間いろいろ勉強したけど、1から勉強し直さないといけないと思いました」と、当時の状況を振り返る。
人任せにしない酪農から、地域ブランディングへ
そもそも「牛たちは草食動物だから、草を食べることが当たり前なのでは?」と疑問を持っていた山本さん。その後、自然そのままの草だけで育てる酪農を目指すために再スタートを切る。配合飼料を食べるように改良されていた牛たちも、当初8キロ与えていたものを年々1キロずつ減らし、8年目にちょうどゼロに。
「そのときくらいから自分の描いていた牛乳ができるようになって、はじめて養老牛放牧牛乳を販売できると思いましたね」と山本さん。
しかし、念願のグラスフェドミルクの完成後、ホクレン以外に牛乳を売るノウハウやルートを持っていないという課題が残されていた。山本さんのなかで、農業の現場に入ってから新規開拓していくことが最大のテーマでもあった。
「そのときは、いろいろ悩みましたね。でも、単純に自分の牛乳だけ売るのではダメなんだろうなって、なんとなく気付いていて。自分の商品を売るのと同時に、北海道や地域の魅力も一緒に打ち出さないと受け入れてもらえないだろうなと思っていた」と話すように、自身で「養老牛倶楽部」というメディアを立ち上げたりと、地域全体のブランディングについて取り組みをはじめていく。
「中標津素材感覚」からうまれた、「食」を柱とした観光
2010年前後からはじまった、ご当地B級グルメブーム。山本さんは、その波にそのまま乗るのではなく「自分たちがやっていることはB級ではなく、A級では?」と、中標津町の仲間たちで独自の取り組みを進めていく。
そして「中標津素材感覚」というグループをつくり、マーケティングなどの勉強会を重ねていくなかで、「中標津マルシェ」や一流の職人と道東食材を集めた「道東フルコース」といったイベントを次々と開催。
「地域も含めて自分の好きなものを、まるごと紹介できる感じがいいよねって。とにかく、ここに来て食べていってほしい」
中標津の「食」を通して、地域の魅力をアピールしていく山本さんは、「それが、観光の大きな柱になっていくんじゃないかな」と話す。
ソフトクリームからつながる、サステナブルな関係性
山本牧場を語るうえで外せないのが、2015年にオープンした「ミルクレーム」だ。もともと自分のお店を持ちたいと思っていた山本さんがコンテナを見つけ、大工仕事が好きな娘さんが改装したという、山本牧場のグラスフェドミルクのソフトクリームが食べられるお店だ。
オープン当初から賑わいをみせて、コロナ禍の前では4~5人に1人は台湾からも来ていたそうだ。
「台湾でも酪農をやっていて、北海道物産展で行ったときに、台湾の人たちも乳製品が好きだって知りました。そこから台湾で山本牧場を出したいなって(笑)。完全放牧でハイジみたいな生活をしたいなって思ってたんですけど、今は頓挫しています(笑)。それと、自転車文化が凄い盛んで、いろいろとつながるんですよね」と山本さん。
その反面、中標津町全体でインバウンドの旅行者に対し、「この地域で何ができたか?」といった総括ができていないことについても振り返る。
「山本牧場に来るということは、他の宿や温泉にも行くはず。なんとなく来て嬉しいではなくて、そうした総括が地域でできると、もっと良くなる気がします。結局は、自分のことばかりやっていても面白くないし、仕事として地域全体のことをなんとなく意識しながらやったほうが、うまくいく感じがしますね。すべてにおいて」
実は、国内旅行業務取扱管理者の資格や「自転車」という趣味も持つ、山本さん。山本さん自身が案内役となる、牧場周辺を巡るサイクルツアーも催行しており、牧場だけではなく地域全体を自ら楽しんで発信している。
牛から地域へ。循環する観光を目指して
同じく中標津町で酪農業を営む竹下さんは、地元出身の酪農家であり実業家でもある。移住者の山本さんとは、また違った視点で地域と観光について話していただいた。
竹下耕介(たけした こうすけ)
1974年、中標津町生まれ。地元普通高校卒業後2年間家を離れ、20歳で牧場に戻る。23歳で経営移譲。2006年に受精卵でブラウンスイスのメスが生まれる。現在相当数(360頭)の1割を占めるほどになる。2006年より牛の万歩計とmilkメーターを導入しセンサー技術を用いて牧場の技術の見える化につとめ、初心者でも働きやすい環境を作る。2008年法人化。2018年より「ゲストハウスushiyado」を共同運営、2019年「竹下牧場チーズ工房」を夫婦二人で開設し、販売開始。2021年、牧場内にレンタルキッチン「ウシベース」を建設し、スープなどの惣菜加工に取り組む。牧場を中心に新しいコミュニティの場を構築中。グッドデザインアワード2021受賞。
酪農業を営む家の4人兄弟の4男として、竹下さんは中標津町で生まれ育つ。小学校4年生の頃から高校に入るまで、朝早く起きて家業を手伝っていたが「自由になりたい」という思いから、高校は普通高校へ行き、卒業後は憧れていた関東へ上京する。
「子どもの頃から、牧場には実習生とか旅人とか、夢を持った若者が集まってきていて。身近にそうした人たちがいる環境で育ったので、意識してなかったけど自由に憧れがあったかも知れません。でも、実際やっていたことはパチプロになろうとか、ニートみたいなものでした(笑)」
その後、中標津へ帰って来てからは「継ぐなら経営者になれ」という先代の父の言葉を受けて、竹下牧場の経営を移譲。23歳という若さで2代目として、牧場経営をはじめていくことになる。
価値観を大きく変えた、自動車事故
転機となったのは、経営者になったばかりの24歳のときだった。
「当時、左ハンドルの車を買ったんですよ。それを3か月で廃車にするという大事故を起こして。そのときに、5番目頸椎が粉砕しちゃって。だから経営者になって、首が回らない(笑)」と、冗談交じりで話す竹下さん。
「1度死に目に会うと、価値観が変わる」と本人も話すように、竹下さんにとっては、そのときの事故で「1度死んでいる」といった考えを持つようになる。
また、今生きているということは、記録を更新しているということで、本人曰く「20年以上、記録更新中」だそう。そうなると「感謝の気持ちが湧いてくる」そうだ。
そのときから「真面目に酪農家の道を志そうと決めた」と竹下さんは話す。
夫婦で実現していく、未来予想図
まず最初にはじめたのは、なにもなかった放牧地に牛舎をつくったことだった。
竹下さん自身が水を引くところからはじめて、牛舎の外壁の色なども、現在の緑と白を基調としたカラーへ変えていった。また、牛舎を建てた記念に海外からブラウンスイス牛の受精卵を購入し、チーズづくりの動きも同時にはじめていく。
「ushiyadoよりも先にチーズをやりたいと思っていました。学ぶ場所が地元になかったから、行ける限りいろいろな勉強会にいきましたね。そこで妻と出会い、結婚したんです」
チーズづくりの勉強会で知り合った竹下さん夫婦。結婚当初に「将来やることリスト」を2人でまとめて書いたそうだ。そして凄いのが、2012年の段階でチーズ工房の他に、ゲストハウスのアイデアもあり、今やっているプロジェクトのほとんどが、そのリストに沿って実現していることだった。
牛と新しい関係がうまれる宿から地域へ
やがて竹下さんは、奥様から聞いた話で「アルベルゴ・ディフーゾ」(※)に興味を持ち「まち宿」について舵を切るようになる。関係人口を増やしていくうえで、最初から「泊まる」が絶対だと思っていたそうだ。
(※アルベルゴ・ディフーゾとは、イタリア語で「分散したホテル」という意味。町の中に点在している空き家をひとつの宿として活用し、町をまるごと活性化しようというもの)
「宿は、チェックインからチェックアウトまで、そこにいることが確証されるので。その滞在している間に、なにができるか?また、人は行ったことのないところに、いきなり住むことはない。きっかけがあってそこに滞在することが、地域の未来を創ると思います」
その考えは、子ども時代に見てきた旅人たちから立証されていた。そうした「きっかけづくり」のひとつとして誕生したのがゲストハウスの「ushiyado」だ。
「ushiyado」は、中標津町と関係を持つ人たちを増やしていきながら、竹下牧場のチーズや牧場見学も楽しむことができる。まさに、牛から地域に、地域から牛につながる取り組みだ。
子ども時代から思っていた想い。開拓の大地に人を呼びたい
どの地域もさまざまな課題が山積しているなかで、竹下さんの原点には「自分は自分の想像を超えることに触れると、刺激を受けワクワクする」といった想いがあるそうだ。
「中標津町は、まだ70歳の町。何もないところに開拓者がやってきて、ひとつ街を作った歴史があるんですよね。だからこそ、新たな産業をこれからもつくれると思っています。具体的に何かは分からないですけど(笑)。でも実際、30年前にバイオガスがエネルギーにならないかな?って思ってたものが、今仕事になろうとしているんです。たとえば中標津にAmazonのデータセンターができて、そのエネルギーを再生エネルギーで賄う。そうしたバカな夢を描くような人がいてもいいんじゃないかなと思っています(笑)」
「開拓の大地に人を呼ぶ」といった強い想いを持つ竹下さん。中標津町へ訪れる人たちとの関係性や、そのきっかけづくりはこれからも続いていく。
お2人の取材を終えて感じたことは、酪農家として牛たちへの愛情を注ぐ仕事は勿論、自分たちが暮らしている地域に対しても同様に、熱い想いを持っていることだ。
その想いを原動力に地域とつながり、より良い暮らしを具体的に実現している「現代の開拓者」のような印象を受けた。どの地域もさまざまな課題を抱えるなかで、点ではなく、面となって、中標津町の魅力をさらに広げる山本さんと、竹下さん。
その取り組みは、「酪農」と「観光」という共通点で、地域の未来をこれからも創造していく。
酪農を体感する旅に出よう!
北海道の最東端、知床ねむろエリアを切り開いてきた現代の開拓者たち。そんな彼らの作り出す、魅力あふれる乳製品や素敵なゲストハウスを体感しに、中標津を目指しましょう。北海道らしい牧歌的な風景と広大な景色。新鮮でおいしい乳製品の魅力に、きっと虜になるはずです。
milcream
中標津の閑静な温泉地「養老牛(ようろうし)」地区にある、山本牧場が経営するソフトクリームショップ。この味を求めて日本全国にとどまらず、台湾などのアジア各国からも多くの方が訪れます。手焼きワッフルコーンだけでなく、抹茶ラテフロートやオリーブオイルをかけて食べる大人のソフトも大人気です。
養老牛放牧牛乳
農薬と化学肥料を使わずに牧草を育てて牛に食べさせている、オーガニック&グラスフェッドが特徴の牛乳。濃厚でありながら飲み口も爽やかなこだわりの牛乳です。中標津町内のスーパー以外にも、多くの場所で購入することができます。定期的に牛乳が届くふるさと納税のセットもオススメです。
ushiyado
中標津の中心部にある、「牛」をテーマにしたゲストハウス。牛がのんびり暮らす大きな牛舎をモチーフにした、牛と新しい関係が生まれる宿です。居心地のいい空間と温かな内装が嬉しい、一人旅にもおすすめしたいゲストハウスです。
酪農家の日常。朝の牧場散策!
ちょっと早起きをして、ushiyadoを経営する「竹下牧場」を散策、酪農を見学できる中標津らしいアクティビティ。酪農家のお仕事と、可愛らしい牛を間近に見ることができます。(5月~11月開催)
※新型コロナウイルスの影響で、アクティビティの催行を一時中断している場合がございます。最新の情報は下記のオフィシャルサイトからご確認ください
竹下牧場チーズ工房
竹下牧場敷地内にある工房で作られている「はじめましてモッツァレラ」と「おはよーマリボー」は、中標津町内の飲食店で食べられる他、ushiyadoで購入できます。また、ふるさと納税でも申し込むことができます。
1982年北海道釧路市出身。くしろ地方のまちづくりメディア「フィールドノート」、道東のSDGsマガジン「tomosu」編集長。DJ、RAP、編集をツールに地域社会の課題解決を目指す、3児の父。釧路町在住。
北海道の東、道東地域を拠点に活動する一般社団法人ドット道東の編集部。道東各地域の高い解像度と情報をベースに企画・コンテンツ制作をおこなう。自社出版プロジェクト・道東のアンオフィシャルガイドブック「.doto」などがある。