ここ道東エリアは、北海道の中でも豊かな自然が残り、様々な資源に恵まれている。
それは海と山、どちらにもいえることである。
この地に生きる人々は、
時代や自然の変化から影響を受けつつも、自分たちの暮らしや文化を大切に守りながら発展してきた。
それは「変わること」と「変わらないこと」のバランスにより保たれているように感じる。
変わらないことのひとつとして挙げられるのが「海の漁師」と「山の猟師」の存在。
そのかたちは時代と共に変化してきたものの、
今も昔も「魚を獲って暮らす」「動物を狩って暮らす」ことは「いのちをいただく」ということ。
北海道の先住民族アイヌの歴史や文化も交え、
現役漁師と猟師の生の声から「いのちをいただくこと」について考えていく。
ー 歴史から学ぶ漁師編 ー
「漁師編」ではアイヌの漁と現代の漁の違いや変化の過程などについて、学芸員、現役猟師のお話から学ぶ。
アイヌの漁業の歴史
「標津遺跡群」は、標津町内(特に伊茶仁川、ポー川沿い)に残されている遺跡の総称。
そこに残る竪穴住居跡の数は4400ヶ所以上と日本最大で、世界的にみても最大規模と考えられている。
そんな貴重な遺跡群がみられる「ポー川史跡自然公園」に伺い、
学芸員である小野哲也さんにアイヌの漁業の歴史について、いくつか質問をさせていただいた。
ー「アイヌの漁と現代の漁の違いとは何でしょうか。」
「アイヌの漁」は交易目的で行うこともありますが、メインは自分が食べることが目的であり「自ら獲って処理をして食べる」工程がつながっていました。
「現代の漁」のほとんどが商品生産を目的としたものであり、生産者と消費者が切り離されているように感じます。
ー「この地域に住む人と自然の関係性はどのようなものでしょうか。」
道東エリアは自然の影響力の強い地域なので、大きな変化は過去に何度も経験してきました。
「標津遺跡群」は一万年前から人が生活していたという歴史があります。
そしてその間、環境の変化に伴い人流は変化しましたが、人が全く居なくなることはありませんでした。
人間は繰り返す自然の変化の中で生きていて、それをコントロールすることはできないため
この地に住む人々は自然に合わせて自らを変化させていったのでしょう。
生産者と消費者をつなぐ取り組み
アイヌの時代はひとつながりであった、生産から消費までの一連の流れ。
しかし、現代社会において生産者と消費者はほとんどの場合が切り離されている。
小野さん自身も、道東エリアに住むことがきっかけで、
生産の現場を知り、自分が食べているもののサイクルを知る事ができたという。
また自分が食べている鮭が、
「切り身の鮭」という認識から「川を泳いでいる鮭」という認識に変わったという。
標津町では生産者と消費者の分断をなくし、互いの姿を想像しやすくするため、「消費者に生産の現場を見せる」エコツーリズムの取り組みを20年にわたり継続している。
現代の漁業における生産から消費までの流れは、時代や社会の変化に伴う自然なかたちである。
その上で、「自らが食べるものがどこから来たのか」を知るということが、
現代社会において生産者と消費者を繋ぐ大きな役割を果たしてくれるのではないだろうか。
時代と共に変化する漁業
羅臼町、鮭の定置網漁船の漁師である田中英輔さんは曽祖父の代から続く、丸モ田中漁業の四代目。
羅臼の漁業の時代に伴う変化についてお話を伺うことができた。
「羅臼の海はなんだかんだ助けてくれる。鮭やイカがダメでもブリやサバなどそれまで獲れていなかった魚種がポンっと獲れるのは羅臼ならでは。」
羅臼の海の恵まれた環境について語ってくれた田中さんだが、
ここ5〜10年は状況が凄まじい勢いで変化しているように感じると教えてくれた。
具体的な変化については、
「鮭の回帰率の低下」「急激な魚種の変化」「赤潮被害」「潮の流れの変化」などを挙げた。
網を壊す程の「大きな時化」や「バカ潮」と呼ばれる潮が早くなる現象が起こる事も増えたという。
恵まれた漁場といわれる羅臼でも、状況は厳しいものとなってきている。
田中さんの口からは現場の漁師ならではのリアルな言葉を聞くとこができた。
それは生産者と消費者の距離が近い地域ならではの経験であり、
「生産者の姿を知ることで生産者と消費者がつながる」ということを肌で感じることができた。
ー 想いを感じる猟師編 ー
「猟師編」では現代の猟師のジビエに対する熱い想いを感じ、エゾシカ問題を考える。
「感謝していただくこと」三代目猟師の想い
現代の猟師の生の声を聞くべく別海町へ。
ジビエ肉販売店「ジビエ工房 山びこ」代表の小林清悟さんと、小林さんの義弟の髙橋欣也さんにお話を伺った。
2人とも別海町で活躍する若手の猟師だ。
「取材の前に是非ジビエ肉を味わってほしい」
嬉しい提案をいただきお邪魔したのは、自分たちで改装を手がけたという自宅近くの離れ小屋。
その空間には、男性なら一度は憧れたであろう隠れ家的な雰囲気が漂う。
「新しいものだけではなく、古いものも大切に使っていきたい」という小林さんの言葉通り、
部屋の壁には木製の山スキーやアンティークのおもちゃなどが並ぶ。
部屋の真ん中に作られた趣のある囲炉裏を囲み、ジビエ肉をいただきながらの取材が始まった。
今回いただいたのは鹿肉と熊肉のしゃぶしゃぶと鹿肉のロースト。
熊肉は普段は販売していないが特別に用意してくださった。
どんぐりや木の実など、自然由来の食料を食べ、ノンストレスで野山を駆け回っていた鹿と熊。
さっぱりとした味わいの中に、肉の旨味をしっかりと感じられた。
いわゆるジビエ独特のクセは全くと言っていいほどなく、感動の美味しさに一同唸りながらいただき、箸が止まらない。
ジビエ肉は、処理の仕方によって大きく味が左右される。
小林さんは狩猟から解体、トリミングまでをほぼひとりで行い、「すべての肉をトリミングすること」にこだわっているという。
それにはロスも伴うが、安心安全のため、そして手元に届いた鹿肉をすぐに美味しく食べられるように、という購入者に対する小林さんの配慮が感じられる。
小林さんの、製品に対するこだわりと愛情が、鹿肉本来の美味しさを最大限に引き出している。
山びこのオリジナルである「ホジカ」は乳製品の加工会社に勤めていた小林さんならではのアイディア商品。
チーズなどを作った際に残るホエイに鹿肉を漬け込むことによって肉がより柔らかくなるという。
どちらも今までは廃棄されてきたエゾシカとホエイ。
商品のひとつひとつから「命を無駄にしたくない」という小林さんの熱い想いが伝わってくる。
小林さんは祖父の代から続く三代目の猟師。
農家の食害を少しでも減らしたいという想いもあり、
近年深刻化しているエゾシカ問題の対策として行われている有害駆除に参加してきた。
そんな中、駆除されたエゾシカがただ廃棄されていくのを見て心を痛めた小林さんは、
棄てられるエゾシカを有効活用すべく2021年9月にジビエ肉販売店を開業。
会社名である「山びこ」は祖母が経営していた食堂からもらった大切な名前だという。
「父、そして祖父から学んだ猟の技術を多くの人に引き継いでいきたい」
その想いから、小林さんは今まで多くの人を猟師の道へと導いてきた。
高橋さんもその中のひとりである。
義兄の小林さんの影響を受け猟師となった高橋さんは、2020年の1月にハンターとしてデビュー。
別海町役場の職員である髙橋さんは、農家を営む同級生から鹿の食害被害に苦しむ声を多く受け、
その声に答えたいという想いもあったと語る。
髙橋さんはほぼ毎日、鹿撃ちをしてから役場に出勤、土日は解体作業も手伝っているという。
小林さんの5歳の長男も鹿、鴨、熊などのジビエ肉が大好きで、中でもお気に入りは熊肉。
小林さんが熊猟に出かけるときには「熊獲ってこいよ〜!」と声をかけるという。
一般家庭ではありえない狩猟一家ならではの会話だ。
鹿撃ちに同行し、猟の様子を見る機会もあるという。
長男に限らず、活発な長女にもハンターとしての可能性を感じると笑う小林さん。
特段、子どもに後を継いでほしいとは思ってはいないという小林さんだが、自身もそうであったように、
ハンターである父の背中を見て育つと憧れをもつのは自然の流れの様にも思える。
食事を終え、猟に同行させていただいた。
取材に伺ったのは1月下旬。猟期は終わりに近づいていた。
鹿の数が少なく、雪が深く降り積もっていたこともあり、今回狩猟の瞬間に立ち会うことはできなかった。
次回は猟の最盛期である11月頃に取材させていただくことを約束してくれた。
「感謝すること」
これは、取材の最後に問いかけた「命をいただいて生きるとは」という質問に対する小林さんの答えだ。
その答えを聞いたとき、何かがストンと心に落ち、何度も頷いてしまった。
「感謝すること」は、エゾシカ問題を始めとする、様々な問題と向き合っていくための、
小さいようで大きな第一歩なのかもしれない。
エゾシカ問題を知る
1990年頃からエゾシカは全国的に増加。それに伴い有害駆除が行われている。
エゾシカの増加が及ぼす悪影響としては「農作物への食害」「植生の変化」などが広く知られており、
植生の変化が土砂崩れなどの自然災害に繋がることもあるという。
今回取材させていただいた別海町では、年間おおよそ2800頭のエゾシカが有害駆除され、
そのほとんどが有効活用されず廃棄されている。
ハンターの減少やその高齢化もまた大きな問題となっている。
北海道の中でも自然、野生動物との距離が近い道東エリア、
エゾシカ問題が引き起こす環境の変化は、私たち人間の暮らしにも大きく影響を及ぼしている。
編集後記
土井
今回書かせていただいた「いのちをいただく」ということ。
羅臼に移住してきてからは、ごく自然に、日々向き合っている様に感じます。
取材を通じ、導き出された私なりの答えは、
「知り、感じ、考える。そして感謝する事からはじめよう。」でした。
自分には関係のない様に感じる事柄や人々も、必ずどこかで自分とつながっている。
そんな意識を持って、様々な問題と向き合っていきたいです。
佐脇
北海道に移住してまもなく一年が経ちます。
本州に住んでいた頃に比べて、自分が食べるものやその食べ物がどこからきたのか、を考えることが増えました。さっきまで生きていたような新鮮な魚介をいただいたり、鹿を解体させていただく機会があったり、本州では出会うことのできなかった経験に溢れているからでしょう。
そのような経験ができる環境に住んでいる分、自分にも伝える役割があると感じました。
漁師や猟師の皆さんほどの言葉のパワーは持っていないが、自分なりに伝えていこうと思います。
(文:akiko doi、取材協力:佐脇 星)
さっぽろ出身、らうす在住。感じたこと、考えたことを絵と言葉で表現することがすきです。地域の色をいかした活動をしていきます。
兵庫県神戸市の人工島で生まれ育つ。自然豊かで刺激溢れる場所を求め、知床羅臼町の地域おこし協力隊に着任。関西人から見た北海道の魅力をSNSで発信している。
「知床ねむろマガジン」編集部。知床ねむろエリアが持つ潜在的な魅力を掘り起こし、お伝えしています。